J-anon’s blog

衰退する日本と世界の闇を考察します

幻のアメリカ大統領、ロバート・ケネディ暗殺の背後にもいたジョージ・ブッシュとCIA!トランプ政権誕生の原点となった、ケネディ兄弟暗殺事件を考察する

アメリカは現在国家非常事態宣言の名の下で、トランプとアメリカを実効支配している深層国家「ディープステート」との内戦に突入している。

ディープステートとはデビット・ロックフェラーが言った「世界統一政府(NWO)樹立のためのある種の秘密結社」であり、デビット・ロックフェラー自身が、そのメンバーであったことを「誇りに思っている」と回想録にかいている組織だ。

それはイルミナティ300人委員会と呼ばれるユダヤ金融資本家を中核に置く結社であり、ロックフェラー一族はロスチャイルド一族と共にその頂点にいる。

事実アメリカはアメリカ国民のものでも自由民主主義国家でもない。

1980年初頭にロックフェラー一族のアメリカ支配の内幕を完全暴露したロックフェラーファイル(邦題:ロックフェラー帝国の陰謀)を読むと、アメリカは国家ではなく、北朝鮮と同じくロックフェラー一族の私有領地であり、それは彼らの所有する米中央銀行FRB通貨発行権、ナショナル・シティバンクチェースマンハッタン銀行などの巨大銀行、その参加にあるエクソン・モービル、ゼネラルエレクトリックス、GMクライスラーボーイング、“モンサント”、NBCCBSなど、金融や主要な多国籍企業、メディアまで全てロックフェラー財団から役員を派遣する形で支配することによりアメリカ社会そのものを所有している。

それだけではなく、ロックフェラーはCFR(外交問題評議会)というパペットであるアメリカ大統領を決め、アドバイザーである大統領補佐官や外交顧問をホワイトハウスに送り込む影の政府を所有している。

キッシンジャーなどはこのCFRの代理人でありロックフェラー一族の番頭だ。

さらにケネディ暗殺オペレーションの司令官だったCIA長官アレン・ダレスがデビット・ロックフェラーの従兄弟であったように、CIAはロックフェラー一族の私兵集団であり秘密警察だ。

CIAの主な任務は世界中の石油資源の確保と戦争を誘発することでロックフェラーらユダヤ金融資本家と傘下の軍需関連産業に莫大な利益を誘導することにある。

JFKはロックフェラー一族の力の源泉であるFRB国有化の大統領令を発布し、政府紙幣を発行したこと、CIAを国防省編入することで事実上のCIAの解体を決めたこと、軍産複合体の巨大経済プロジェクトであるベトナム戦争の停戦を表明したことによって暗殺された。

それだけではない。JFKの弟、ボビーことロバート・ケネディは、ケネディ政権下で司法長官を務めFBI長官エドガー・フーバーの弱みを握り国内最大の治安組織を骨抜きにしていたシンジケート(イタリアマフィア「コーサ・ノストラ」とユダヤ系マフィアの連合体)に全面戦争を仕掛け、フーバーをFBIから追放しようとした頭脳明晰かつ強硬派の熱血漢だったが、彼も兄同様、1968年の大統領選に出馬し、圧倒的勝利で民主党の大統領候補の指名を確実なものにした直後に、カリフォルニアのアンバサダーホテルで行われた遊説会場で銃撃され、死亡した。

私はこの兄弟の暗殺事件を調べる度に、彼らに対し尊敬の念を抱かざるを得ない。兄もそうだが、アメリカを蝕む連中の正体を知りながら、アメリカ国民に国家を取り戻そうと一歩も引かなかったこの信念には敬服の念を抱かざるを得ない。

特にボビー・ケネディは自分が大統領選に出馬すれば殺されることを知っていただろう。実際、彼の義姉のジャクリーン・ケネディは、ボビーが1968年の大統領選への出馬を表明した際に「何で彼は大統領選に出馬するんでしょう?どうせ彼らは彼を殺すでしょうに…」と周囲に漏らしたという。

ディープステートのインサイダーだったジョン・コールマン博士は、「もし1960年代にケネディ兄弟が暗殺されなければ、その後のアメリカの戦争利権によって引き起こされたイラク、アフガン戦争も起きなかっただろう。彼らは戦争利権に依存するアメリカのビジネスモデルの変更を余儀なくされたはずだ」と断言している。

しかしこのケネディ一族の暗殺にことごとく関与してきたのがジョージ・ブッシュ・シニアとCIAである。

ジャクリーンの言った「彼ら」の暗殺部隊を率いていたのはネオコンのボスだったジョージ・ブッシュ・シニア率いるブッシュ一族とCIAであって、トランプ大統領の誕生はこのケネディ一族の度重なる暗殺に端を発した軍事クーデターと考えられる。

ケネディ政権下の1960年代初頭には、フーバーが決してその存在を認めなかったマフィアによってアメリカ国民が合法的に犯罪被害者になっていただけでなく、南部ではKKKなどによる黒人に対するリンチ殺人などが当たり前のように行われていた。

これらの犯罪的な内政問題を、フーバーをパッシングしてFBIの職員に直接指示を出し、強行に解決しようとしたのがボビーだった。

例えばアラバマではジョージ・ウォレスという強硬な白人至上主義者が知事をやっていたが、ウォレスはアラバマ州立大学への黒人生徒の入学を拒否した。

黒人学生らはそれでも自分たちの権利としてアラバマ州立大へデモ隊のように隊をなして行進し、登校しようとしたが、ウォレス知事は州兵を動員して放水車まで用意し、彼らの大学敷地内の立ち入りを断固拒否した。

校門に黒人学生が近づいたら放水で彼らを吹き飛ばそうとしたのだ。ボビーはウォレスに直接電話をかけ「アメリカは多様な人種によってなる国家だ。お前は決してアメリカ国民などではない!」と痛烈に非難した。

事態を重く見たJFKアラバマ州に非常事態を宣言する。大統領が非常事態を宣言した場合、州兵への指揮命令権は州知事から大統領に移行する。これを知ってか知るまいか、黒人学生は大学構内に入ろうとしたが、ウォレス自身が彼らの前に立ちはだかり、州兵に放水を命じた。しかし、非常事態宣言を受けた州兵は応じることができない。

そこにボビーからJFK名義で州兵に指令が入った。

「黒人学生の大学内への立ち入りを妨害した者は放水で吹き飛ばせ!」。

で、結局放水車による放水で数十メーター吹っ飛ばされたのはウォレス知事の方だった(笑)!こうしてアラバマ州立大への黒人学生の入学は許可された。

しかし、1963年11月22日、兄のジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されると、ボビーは司法長官の座から降ろされ、一介の上院議員となった。

彼自身、「殺されるのは兄ではなく自分だと思っていた」と発言していることから、もはや腹を決めていたのだろう。

彼は1968年の大統領選挙への出馬を決めた。出馬表明はベトナム戦争の泥沼化とアメリカ国内の分裂を回避するために、ベトナムからの米軍の全面撤退を公約として行われた。

だが同年、ケネディ兄弟が支持していた公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺される。

彼が選挙の為の遊説先として訪れたインディアナポリスの黒人街では集まった黒人層たちが暴動一歩手前の動きを見せており、演説会場付近のビルでスナイパーライフルを持った2人組が市警察に拘束されたという情報が寄せられると、インディアナポリス市警は選挙演説を中止するようにボビー・ケネディ陣営に要請した。しかしボビーは避難するように要請した選挙スタッフに対して言った。

「命はこういう時の為に使うものだ。私は行く」。

そしてボビーが選挙演説のために設置された壇上に上がると、集まっていた黒人の群衆たちは殺気立った。だが、そんな彼らに対してボビーはマイクを通して言った。

「愛と平和の使者、キング牧師は死んだ…。あなた方の気持ちは十分にわかっている。何故なら、私の兄も殺された!キング牧師と同じく、白人によって殺されたのだ!」

彼がこういった時、今にも暴動を起こしそうだった黒人聴衆たちは徐々に静まり返ったという。

さらにボビーは言った。

「だから、皆、今日はこのまま家に帰って、ただ静かに、亡きキング牧師の偉業のために祈って欲しい。今、この国に必要なものは、憎しみでも分裂でもない!」。

彼が言ったことはこれだけだった。しかし、集まっていた黒人聴衆たちは一人、また一人と帰り始めた。

そして広場からは黒人聴衆は一人もいなくなった。

キング牧師が暗殺された日、アメリカの各都市で黒人による暴動が相次いでいたと云う。しかし、インディアナポリスでは一件も暴動は起きなかった!

そして、この年の大統領予備選において、ボビー・ケネディは圧倒的多数の支持を得て民主党の大統領候補選を確実なものにする。

またもや共和党候補のニクソンの前に立ちはだかったのはケネディだった。しかし彼は大統領予備選の勝利を確実なものにしたカリフォルニアの遊説会場において、またもTV中継されている中で暗殺されてしまう。

ロックフェラー一族は財団を使い、アメリカの全てのメディアを掌握している。トランプが就任から一貫して全米のメディアのネガティブキャンペーンにさらされているのはトランプがケネディ兄弟と同じく、「アメリカン・ファースト」、つまりアメリカの政治をアメリカ国民に取り戻すことを公約として宣言し大統領になったからだ。

これは世界統一政府を推進するユダヤ金融資本家にとってケンカを売っているに等しい。

しかし1968年の段階ではJFK暗殺はオズワルドの単独犯行説など大半のアメリカ国民が信用していなかったし、それゆえに絶大な人気を誇っていた弟ロバート・ケネディに対するメディアのネガティブキャンペーンなど逆効果になること、しかも世論調査の結果、このまま行けばCFRの認定した共和党候補のニクソンは大差で敗北する結果になることを彼らは知っていた。

こうなるともうボビー・ケネディは兄同様殺すしかなかった。

ここで再びJFK暗殺事件の現場指令官、ジョージ・ブッシュ・シニアが出てくる。

ここではJFK暗殺の時のようなコーサ・ノストラの関与は薄い。

JFK暗殺でCIAと共に彼を葬ったマフィア・シカゴ軍団のボス、サム・ジアンカーナは国外逃亡していたし、「雨水管のメンテナンス用の明り取りの窓からケネディの頭を吹き飛ばした」とビル・ボナーノに告白したジョニー・ロゼリは刑務所に収監されていた。

コーサ・ノストラ側からの情報はサム・ジアンカーナの弟チャック・ジアンカーナが述べたことのみである。

ロバート・ケネディを暗殺したとされるサーハン・サーハンはジャック・ルビーと同じく組織(マフィア)から多額の借金をしていた。組織に金を返せないという事は見せしめの為の拷問を受けて殺されるだけでなく、彼らの家族や愛人もまた同じ運命をたどることを意味している。そこで組織は借金をチャラにするだけでなく、家族の生命も保証する代わりにあるオファーを提案する。組織が指定した人物を殺し、オメルタの掟を死ぬまで守ることだ。サーハンは組織のクモの糸に絡められた操り人形の一人にすぎない」。

南米に逃亡していたサム・ジアンカーナは国外からマイアー・ランスキー、カルロス・マルセロ、カルロ・ガンビーノらとは連絡を取っており、生贄としてサーハン・サーハンをボビー・ケネディ暗殺犯に仕立て上げることを決定している。

しかし、実際の暗殺犯はカストロ暗殺計画に加担したロバート・モローいわく、映画JFKケビン・コスナーが演じた判事、ジム・ギャリソンが追い詰めつつあった、亡命キューバ人とCIAのスナイパーを訓練したパーミンデックス社をダミーとするCIA・MI6の工作員たちである。このことは以下の過去記事に書いている通りだ。

 

 

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上記記事に記した通り、JFK暗殺において、マフィアのシカゴアウトフィットとCIA、亡命キューバ人によるスナイパーたちを現場指揮官として統括していたのは、後にCIA長官となり、第41代大統領になるジョージ・ブッシュ・シニアだ。

そして、実際にJFK暗殺の引き金となったピッグス湾事件において、CIAのメンバーとして亡命キューバ人とCIAの傭兵による侵攻の援護としてピッグス湾空爆パイロットを行い、予期せぬカストロ軍の反攻によって爆弾の一発も落とせぬまま帰還したロバート・モローは後に「ケネディ暗殺」という著書において、JFK暗殺に関わった複数のCIA関係者を挙げている。

その中にはJFK暗殺現場付近で貨物列車に隠れていた不審な3人の浮浪者としてダラス市警に連行されたハワード・ハントというCIA幹部旗下の工作員も含まれている。

ジョン・コールマン博士によると、この3人の浮浪者はシカゴマフィアによるJFK暗殺が失敗した場合にケネディを確実に仕留めるべく、MI6の北米局長でありCIAにも在籍していたウィリアム・スティーブンソンによって設立されたパーミンデックス社というCIAのダミー企業によって訓練されたスナイパーたちであるという。

そしてハントは彼らの極秘ミッションの責任者であり、後のニクソン政権下において水道管工事人を装い民主党本部に侵入して逮捕されたCIA職員による「ウォーターゲート事件」の主役となる男だ。

モローは名前こそ挙げていないが、ハントに近い人物、というか彼らJFK暗殺オペレーションの主要メンバーとして、当日一旦ダラス市警に逮捕され、即日保釈された一人の男の顔写真と目撃者の証言によって書かれた似顔絵を公開している。この男の名はデビット・アトリー・フィリップスと言い、JFK暗殺現場周辺で複数の写真に収められている男だ。

この男はなんとピッグス湾侵攻の失敗によりケネディ政権に恨みを抱いていた亡命キューバ人グループの統括責任者であり、リー・ハーヴェイ・オズワルドとシカゴマフィアの準構成員だったジェームズ・ファイルズの射撃訓練を行った人物である。

ファイルズはグラシーノールからレミントン社製サンダーボルトライフルから発射されたダムダム弾により、実際にケネディの頭を吹き飛ばした男とされている。

そしてなんとデビット・アトリー・フィリップスは、JFK暗殺現場の司令官だったジョージ・ブッシュ・シニアの直下の部下としてシカゴマフィアとCIA暗殺部隊に直接指揮命令を出していた現場指揮官だったことがわかっている。

また、別人名義でオズワルドが使用したとされるカルカーノライフルを購入していたのはこのフィリップスだった!

さらに、ロバート・ケネディが暗殺されたアンバサダーホテルの現場写真の中で、何とデビット・アトリー・フィリップスがまたも撮影されていた!

ケネディ兄弟暗殺現場でこのCIAの秘密工作の指揮官だったフィリップスが撮影されたということは、CIA、亡命キューバ人による暗殺部隊がアンバサダーホテルのボビー・ケネディを取り巻いていたことを意味する。

繰り返すが、JFK暗殺現場の監督はジョージ・ブッシュ・シニアであり、フィリップスはその直下の現場指揮官でブッシュの右腕役を果たした男だ。

つまり、ここでもボビー・ケネディ暗殺を仕切ったのはジョージ・ブッシュ・シニアということになる!実行犯とされたサーハン・サーハンは前方1メートルからボビーを狙撃したことになっているが、検視官を務めた日系のDr.ノグチによると、ボビー・ケネディに致命傷を与えたのは彼の後頭部、耳の後ろから数センチの距離で発射された弾丸であり、真犯人がサーハンであることはあり得ない、という結論を出している。では誰がボビー・ケネディに致命傷をあたえたのか?

一説によるとデビッド・サンチェス・モラレスという南米の数々のCIAによるクーデターに関与した名うてのCIA工作員だという。彼は1974年に、親しい友人に自分がロバート・ケネディをカリフォルニアのアンバサダーホテルで殺したことを自慢気に打ち明けている。

しかし、すでにケネディ暗殺事件が1964年のウォーレン委員会の報告書により、オズワルド単独説の報告書を公式発表しているように、この問題もサーハン・サーハン単独犯説で幕を閉じる。

そもそもウォーレン委員会のメンバーがケネディ暗殺オペレーションの総司令官だったアレン・ダレス、ロックフェラー財団の理事ジョン・マクロイ、リンドン・ジョンソンなど、全てロックフェラー一族が所有する影の合衆国政府CFR(外交問題評議会)のメンバーで構成されていて、この調査委員会自体、盗人が傘下の人脈を調査するというイカサマ的な構造となっている。

トランプ大統領の誕生はこのようなロックフェラー、ブッシュ一族などアメリカを私物化するリベラル左翼のグローバリズムという名を冠した、ユダヤ金融資本家を中心とする東部エスタブリッシュメントとその結社による世界のファシズム支配に対抗する勢力、主にその道具に使われてきた軍部の後押しを受けたものだという。

ジョージ・ブッシュ・シニアはトランプ大統領就任後、多くの識者の予想通りに死んだ。

しかし、トランプ政権の本当の敵は、彼を執拗に一斉攻撃している全メディアを所有しているロックフェラー財団であり、ユダヤ金融資本家である。長老のデビット・ロックフェラーは死んだが、その遺産相続人たちはそのまま権力を継承している。

私見だが、彼らの力の源泉であるFRB(米連銀)国有化がなされない限り、トランプ革命の成功は難しいと考える。

最後に余談だが、このロバート”ボビー”ケネディの暗殺について歌った世界的なロックの名曲があることをご存知だろうか?

1970年に発表されたイーグルスの名曲、ホテルカリフォルニアだ。

ケネディ兄弟は”ニューフロンティア”を政策に掲げて大統領選に躍り出た。

つまり、現在のアメリカのような贋金発行と軍事的略奪による封建的な繁栄ではなく、1913年にグローバルユダヤ人によって米中央銀行FRBが乗っ取られる前の、資源、技術、労働力と、フロンティアスピリッツ(開拓者魂)よって未曽有の繁栄を築いた民主国家アメリカを取り戻そうという政策だった。

そのためにはロスチャイルド一族やロックフェラー一族などのグローバルユダヤ人や、ブッシュやダレス兄弟がバチカン経由でゲシュタポ長官のミュラーや人体実験の死の医師ヨーゼフ・メンゲレ、ゲーレン機関の要員などナチスの戦犯を引き入れたユダヤの私兵CIAを解体する必要があったのだ。

このニューフロンティア政策を推し進める為にFRBを解体する目的で政府紙幣を発行し、CIAを国防省編入しようとしたJFKは1963年に暗殺され、その魂を受け継いで1968年の大統領選に出馬した弟のボビー・ケネディは同年6月6日、圧倒的多数の支持で民主党の大統領候補になり、第37代アメリカ大統領になることを決定づけた瞬間に、デビット・アトリー・フィリップスCIA工作員が多数取り囲む中、カリフォルニアのアンバサダーホテルで銃撃を受け死亡した。

本来なら、1969年1月から大統領になっていたのはニクソンではなくボビー・ケネディだった。暗殺されなければの話だが。

こうしてニューフロンティアは終わりを告げた。

さて、1970年にシングル、アルバムともに全米ヒットチャート1位を獲得し、未だに名曲とされている物悲しいロックの名曲、ホテルカリフォルニアの歌詞にはこうある。

 

  ホテルのバーに入って“フロンティア”というワインを頼むと、店主は言った。

  1969年以降、その酒(スピリッツ)は置いていない。

  ” ようこそホテルカリフォルニアへ ”